の必要を感じた。久しぶりにわが生れ故郷の東京に新らしい世帯を持つ事になった彼の懐中には一片の銀貨さえなかった。
彼は日本を立つ時、その妻子を細君の父に託した。父は自分の邸内にある小《ち》さな家を空けて彼らの住居《すまい》に充てた。細君の祖父母が亡くなるまでいたその家は狭いながらさほど見苦しくもなかった。張交《はりまぜ》の襖《ふすま》には南湖《なんこ》の画《え》だの鵬斎《ぼうさい》の書だの、すべて亡くなった人の趣味を偲《しの》ばせる記念《かたみ》と見るべきものさえ故《もと》の通り貼《は》り付けてあった。
父は官吏であった。大して派出《はで》な暮しの出来る身分ではなかったけれども、留守中手元に預かった自分の娘や娘の子に、苦しい思いをさせるほど窮してもいなかった。その上健三の細君へは月々いくらかの手当が公けから下りた。健三は安心してわが家族を後に遺した。
彼が外国にいるうち内閣が変った。その時細君の父は比較的安全な閑職からまた引張出されて劇《はげ》しく活動しなければならない或《ある》位置に就いた。不幸にしてその新らしい内閣はすぐ倒れた。父は崩壊の渦の中《うち》に捲《ま》き込まれなければ
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