であった。彼は一も二もなく承知した。細君はまた子供を連れて駒込《こまごめ》へ帰って来た。しかし彼女の態度は里へ行く前と毫《ごう》も違っていなかった。健三は心のうちで彼女の母に騙《だま》されたような気がした。
こうした夏中の出来事を自分だけで繰り返して見るたびに、彼は不愉快になった。これが何時まで続くのだろうかと考えたりした。
五十六
同時に島田はちょいちょい健三の所へ顔を出す事を忘れなかった。利益の方面で一度手掛りを得た以上、放したらそれっきりだという懸念がなおさら彼を蒼蠅《うるさ》くした。健三は時々書斎に入って、例の紙入を老人の前に持ち出さなければならなかった。
「好《い》い紙入ですね。へええ。外国のものはやっぱりどこか違いますね」
島田は大きな二つ折を手に取って、さも感服したらしく、裏表を打返して眺めたりした。
「失礼ながらこれでどの位します。あちらでは」
「たしか十|志《シリング》だったと思います。日本の金にすると、まあ五円位なものでしょう」
「五円?――五円は随分好い価《ね》ですね。浅草《あさくさ》の黒船町《くろふねちょう》に古くから私《わたし》の知ってる袋
前へ
次へ
全343ページ中184ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング