すぐ涙を流す事の出来る重宝な女であった。健三をほんの小供だと思って気を許していた彼女は、その裏面をすっかり彼に曝露《ばくろ》して自《みず》から知らなかった。
 或日一人の客と相対して坐っていた御常は、その席で話題に上《のぼ》った甲という女を、傍《はた》で聴いていても聴きづらいほど罵《ののし》った、ところがその客が帰ったあとで、甲がまた偶然彼女を訪ねて来た。すると御常は甲に向って、そらぞらしい御世辞を使い始めた。遂に、今誰さんとあなたの事を大変|賞《ほ》めていた所だというような不必要な嘘まで吐《つ》いた。健三は腹を立てた。
「あんな嘘を吐いてらあ」
 彼は一徹な小供の正直をそのまま甲の前に披瀝《ひれき》した。甲の帰ったあとで御常は大変に怒《おこ》った。
「御前と一所にいると顔から火の出るような思をしなくっちゃならない」
 健三は御常の顔から早く火が出れば好《い》い位に感じた。
 彼の胸の底には彼女を忌み嫌う心が我知らず常にどこかに働らいていた。いくら御常から可愛《かあい》がられても、それに酬《むく》いるだけの情合《じょうあい》がこっちに出て来《き》得《え》ないような醜いものを、彼女は彼女
前へ 次へ
全343ページ中139ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング