しまった。小さい健三がふと心付いて見ると、その広い室《へや》は既に扱所《あつかいじょ》というものに変っていた。
 扱所というのは今の区役所のようなものらしかった。みんなが低い机を一列に並べて事務を執っていた。テーブルや椅子《いす》が今日《こんにち》のように広く用いられない時分の事だったので、畳の上に長く坐《すわ》るのが、それほどの不便でもなかったのだろう、呼び出されるものも、また自分から遣《や》って来るものも、悉《ことごと》く自分の下駄《げた》を土間《どま》へ脱ぎ捨てて掛り掛りの机の前へ畏《かしこ》まった。
 島田はこの扱所の頭《かしら》であった。従って彼の席は入口からずっと遠い一番奥の突当《つきあた》りに設けられた。其所《そこ》から直角に折れ曲って、河の見える櫺子窓《れんじまど》の際までに、人の数が何人いたか、机の数が幾脚あったか、健三の記憶は慥《たし》かにそれを彼に語り得なかった。
 島田の住居《すまい》と扱所とは、もとより細長い一つ家《いえ》を仕切ったまでの事なので、彼は出勤《しっきん》といわず退出《たいしつ》といわず、少なからぬ便宜を有《も》っていた。彼には天気の好《よ》い時で
前へ 次へ
全343ページ中130ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング