った。従って彼が田圃《たんぼ》や藪《やぶ》ばかり見える田舎に住んでいたのと、狭苦しい町内の往来に向いた薄暗い宅に住んでいたのと、どっちが先になるのか、それも彼にはよく判明《わか》らなかった。そうしてその時代の彼の記憶には、殆《ほと》んど人というものの影が働らいていなかった。
しかし島田夫婦が彼の父母として明瞭《めいりょう》に彼の意識に上《のぼ》ったのは、それから間もない後《あと》の事であった。
その時夫婦は変な宅にいた。門口《かどぐち》から右へ折れると、他《ひと》の塀際《へいぎわ》伝いに石段を三つほど上《あが》らなければならなかった。そこからは幅三尺ばかりの露地《ろじ》で、抜けると広くて賑《にぎ》やかな通りへ出た。左は廊下を曲って、今度は反対に二、三段下りる順になっていた。すると其所に長方形の広間があった。広間に沿うた土間《どま》も長方形であった。土間から表へ出ると、大きな河が見えた。その上を白帆《しらほ》を懸けた船が何艘《なんぞう》となく往《い》ったり来たりした。河岸《かし》には柵《さく》を結《い》った中へ薪《まき》が一杯積んであった。柵と柵の間にある空地《あきち》は、だらだら下
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