喧嘩《けんか》をして、もう向うから謝罪《あやま》って来ても勘忍してやらないと覚悟を極《き》めたが、いくら待っていても、姉が詫《あや》まらないので、仕方なしにこちらからのこのこ出掛けて行ったくせに、手持無沙汰《てもちぶさた》なので、向うで御這入《おはい》りというまで、黙って門口《かどぐち》に立っていた滑稽《こっけい》もあった。……
 古い額を眺めた健三は、子供の時の自分に明らかな記憶の探照燈を向けた。そうしてそれほど世話になった姉夫婦に、今は大した好意を有《も》つ事が出来にくくなった自分を不快に感じた。
「近頃は身体《からだ》の具合はどうです。あんまり非道《ひど》く起る事もありませんか」
 彼は自分の前に坐《すわ》った姉の顔を見ながらこう訊《たず》ねた。
「ええ有難う。御蔭さまで陽気が好《い》いもんだから、まあどうかこうか家の事だけは遣ってるんだけれども、――でもやっぱり年が年だからね。とても昔しのようにがせい[#「がせい」に傍点]に働く事は出来ないのさ。昔健ちゃんの遊《あす》びに来てくれた時分にゃ、随分|尻《しり》ッ端折《ぱしょ》りで、それこそ御釜《おかま》の御尻まで洗ったもんだが、今
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