「もう帰りそうなものですがね」
「今日は待ってて例の事件を話して行かなくっちゃあ、……」
 兄はまだその後をいおうとした。細君はふいと立って茶の間へ時計を見に這入《はい》った。其所《そこ》から出て来た時、彼女はこの間の書類を手にしていた。
「これが要《い》るんでしょう」
「いえそれはただ参考までに持って来たんだから、多分要るまい。もう健三に見せてくれたんでしょう」
「ええ見せました」
「何といってたかね」
 細君は何とも答えようがなかった。
「随分沢山色々な書付が這入っていますわね。この中には」
「御父さんが、今に何か事があるといけないって、丹念に取って置いたんだから」
 細君は夫から頼まれてその中《うち》の最も大切らしい一部分を彼のために代読した事はいわなかった。兄もそれぎり書類について語らなくなった。二人は健三の帰るまでの時間をただの雑談に費やした。その健三は約三十分ほどして帰って来た。

     三十六

 彼が何時《いつ》もの通り服装を改めて座敷へ出た時、赤と白と撚《よ》り合せた細い糸で括《くく》られた例の書類は兄の膝の上にあった。
「先達《せんだっ》ては」
 兄は油気の
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