なかった。セルの単衣《ひとえ》を着流しのままでしまいには胡坐《あぐら》さえ掻《か》いた。婆《ばあ》さん一人より外に誰も相談する相手のない健三の方ではなおの事困った。彼は結婚の儀式について全くの無方針であった。もともと東京へ帰ってから貰《もら》うという約束があったので、媒酌人《なこうど》もその地にはいなかった。健三は参考のためこの媒酌人が書いて送ってくれた注意書《ちゅういしょ》のようなものを読んで見た。それは立派な紙に楷書《かいしょ》で認《したた》められた厳《いか》めしいものには違なかったが、中には『東鑑《あずまかがみ》』などが例に引いてあるだけで、何の実用にも立たなかった。
「雌蝶《めちょう》も雄蝶《おちょう》もあったもんじゃないのよ貴方《あなた》。だいち御盃《おさかずき》の縁が欠けているんですもの」
「それで三々九度を遣《や》ったのかね」
「ええ。だから夫婦中《ふうふなか》がこんなにがたぴしするんでしょう」
 兄は苦笑した。
「健三もなかなかの気六《きむ》ずかしやだから、御住《おすみ》さんも骨が折れるだろう」
 細君はただ笑っていた。別段兄の言葉に取り合う気色《けしき》も見えなかった
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