き比べて見た。

     三十三

 葬式の帰りに寄るかも知れないといった兄は遂に顔を見せなかった。
「あんまり遅くなったから、すぐ御帰りになったんでしょう」
 健三にはその方が便宜であった。彼の仕事は前の日か前の晩を潰《つぶ》して調べたり考えたりしなければ義務を果す事の出来ない性質のものであった。従って必要な時間を他《ひと》に食い削られるのは、彼に取って甚しい苦痛になった。
 彼は兄の置いて行った書類をまた一纏《ひとまと》めにして、元のかんじん撚《より》で括《くく》ろうとした。彼が指先に力を入れた時、そのかんじん撚はぷつりと切れた。
「あんまり古くなって、弱ったのね」
「まさか」
「だって書付の方は虫が食ってる位ですもの、貴夫《あなた》」
「そういえばそうかも知れない。何しろ抽斗《ひきだし》に投げ込んだなり、今日《こんにち》まで放って置いたんだから。しかし兄貴も能《よ》くまあこんなものを取って置いたものだね。困っちゃ何でも売るくせに」
 細君は健三の顔を見て笑い出した。
「誰も買い手がないでしょう。そんな虫の食った紙なんか」
「だがさ。能《よ》く紙屑籠《かみくずかご》の中へ入れてし
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