と同じような口上を述べた。
「どうも色々御手数《おてかず》を掛けまして、有難う。じゃ頂戴《ちょうだい》します」
兄は礼をいってそれを受取った。
健三は黙って三人の様子を見ていた。三人は殆んど彼の其所《そこ》にいる事さえ眼中に置いていなかった。しまいまで一言《いちごん》も発しなかった彼は、腹の中で甚しい侮辱を受けたような心持がした。しかし彼らは平気であった。彼らの仕打を仇敵《きゅうてき》の如く憎んだ健三も、何故《なぜ》彼らがそんな面中《つらあて》がましい事をしたのか、どうしても考え出せなかった。
彼は自分の権利も主張しなかった。また説明も求めなかった。ただ無言のうちに愛想《あいそう》を尽かした。そうして親身の兄や姉に対して愛想を尽かす事が、彼らに取って一番|非道《ひど》い刑罰に違なかろうと判断した。
「そんな事をまだ覚えていらっしゃるんですか。貴夫《あなた》も随分執念深いわね。御兄《おあに》いさんが御聴きになったらさぞ御驚ろきなさるでしょう」
細君は健三の顔を見て暗にその気色《けしき》を伺った。健三はちっとも動かなかった。
「執念深かろうが、男らしくなかろうが、事実は事実だよ。よし事実に棒を引いたって、感情を打ち殺す訳には行かないからね。その時の感情はまだ生きているんだ。生きて今でもどこかで働いているんだ。己が殺しても天が復活させるから何にもならない」
「御金なんか借りさえしなきゃあ、それで好いじゃありませんか」
こういった細君の胸には、比田たちばかりでなく、自分の事も、自分の生家《さと》の事も勘定に入れてあった。
百一
歳《とし》が改たまった時、健三は一夜《いちや》のうちに変った世間の外観を、気のなさそうな顔をして眺めた。
「すべて余計な事だ。人間の小刀細工だ。」
実際彼の周囲には大晦日《おおみそか》も元日もなかった。悉《ことごと》く前の年の引続きばかりであった。彼は人の顔を見て御目出とうというのさえ厭《いや》になった。そんな殊更な言葉を口にするよりも誰にも会わずに黙っている方がまだ心持が好かった。
彼は普通の服装《なり》をしてぶらりと表へ出た。なるべく新年の空気の通わない方へ足を向けた。冬木立《ふゆこだち》と荒た畠《はたけ》、藁葺《わらぶき》屋根と細い流《ながれ》、そんなものが盆槍《ぼんやり》した彼の眼に入《い》った。しかし彼はこの可
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