みと、が交《まじ》っていた。いずれにしても、新らしく生れた子が可愛《かあい》くなるばかりであった。
 彼女はぐたぐたして手応《てごた》えのない赤ん坊を手際よく抱き上げて、その丸い頬《ほお》へ自分の唇を持って行った。すると自分から出たものはどうしても自分の物だという気が理窟なしに起った。
 彼女は自分の傍《わき》にその子を置いて、また裁《たち》もの板の前に坐《すわ》った。そうして時々針の手をやめては、暖かそうに寐《ね》ているその顔を、心配そうに上から覗《のぞ》き込んだ。
「そりゃ誰の着物だい」
「やっぱりこの子のです」
「そんなにいくつも要《い》るのかい」
「ええ」
 細君は黙って手を運ばしていた。
 健三は漸《やっ》と気が付いたように、細君の膝《ひざ》の上に置かれた大きな模様のある切地《きれじ》を眺めた。
「それは姉から祝ってくれたんだろう」
「そうです」
「下らない話だな。金もないのに止せば好《い》いのに」
 健三から貰《もら》った小遣の中《うち》を割《さ》いて、こういう贈り物をしなければ気の済まない姉の心持が、彼には理解出来なかった。
「つまり己《おれ》の金で己が買ったと同じ事になるんだからな」
「でも貴夫《あなた》に対する義理だと思っていらっしゃるんだから仕方がありませんわ」
 姉は世間でいう義理を克明に守り過ぎる女であった。他《ひと》から物を貰えばきっとそれ以上のものを贈り返そうとして苦しがった。
「どうも困るね、そう義理々々って、何が義理だかさっぱり解りゃしない。そんな形式的な事をするより、自分の小遣を比田《ひだ》に借りられないような用心でもする方がよっぽど増しだ」
 こんな事に掛けると存外無神経な細君は、強いて姉を弁護しようともしなかった。
「今にまた何か御礼をしますからそれで好いでしょう」
 他《ひと》を訪問する時に殆《ほと》んど土産《みやげ》ものを持参した例《ためし》のない健三は、それでもまだ不審そうに細君の膝の上にあるめりんす[#「めりんす」に傍点]を見詰めていた。

     八十六

「だから元は御姉《おあねえ》さんの所へ皆なが色んな物を持って来たんですって」
 細君は健三の顔を見て突然こんな事をいい出した。――
「十《とお》のものには十五の返しをなさる御姉さんの気性を知ってるもんだから、皆なその御礼を目的《あて》に何か呉れるんだそうですよ」

前へ 次へ
全172ページ中143ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング