を幾段にも組み上げて、高いものを一層高く見えるように工夫したその天井は、小さい彼の心を包むに足りなかった。最後に彼の眼は自分の下に黒い頭を並べて、神妙に彼のいう事を聴いている多くの青年の上に落ちた。そうしてまた卒然として現実に帰るべく彼らから余儀なくされた。
これほど細君の病気に悩まされていた健三は、比較的島田のために崇《たた》られる恐れを抱《いだ》かなかった。彼はこの老人を因業《いんごう》で強慾《ごうよく》な男と思っていた。しかし一方ではまたそれらの性癖を充分発揮する能力がないものとしてむしろ見縊《みくび》ってもいた。ただ要《い》らぬ会談に惜い時間を潰《つぶ》されるのが、健三には或種類の人の受ける程度より以上の煩いになった。
「何をいって来る気かしら、この次は」
襲われる事を予期して、暗《あん》にそれを苦にするような健三の口振《くちぶり》が、細君の言葉を促がした。
「どうせ分っているじゃありませんか。そんな事を気になさるより早く絶交した方がよっぽど得ですわ」
健三は心の裡で細君のいう事を肯《うけ》がった。しかし口ではかえって反対な返事をした。
「それほど気にしちゃいないさ、あんな者。もともと恐ろしい事なんかないんだから」
「恐ろしいって誰もいやしませんわ。けれども面倒臭《めんどくさ》いにゃ違いないでしょう、いくら貴夫《あなた》だって」
「世の中にはただ面倒臭い位な単純な理由でやめる事の出来ないものがいくらでもあるさ」
多少片意地の分子を含んでいるこんな会話を細君と取り換わせた健三は、その次島田の来た時、例《いつも》よりは忙がしい頭を抱えているにもかかわらず、ついに面会を拒絶する訳に行かなかった。
島田のちと話したい事があるといったのは、細君の推察通りやっぱり金の問題であった。隙《すき》があったら飛び込もうとして、この間から覘《ねらい》を付けていた彼は、何時まで待っても際限がないとでも思ったものか、機会のあるなしに頓着《とんじゃく》なく、ついに健三に肉薄《にくはく》し始めた。
「どうも少し困るので。外にどこといって頼みに行く所もない私《わたし》なんだから、是非一つ」
老人の言葉のどこかには、義務として承知してもらわなくっちゃ困るといった風の横着さが潜んでいた。しかしそれは健三の神経を自尊心の一角において傷《いた》め付けるほど強くも現われていなかった。
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