かけぢゃや》のような雑な構《かまえ》が拵《こしら》えられて、常には二、三脚の床几《しょうぎ》さえ体《てい》よく据えてあった。
 葭簀《よしず》の隙《すき》から覗《のぞ》くと、奥には石で囲んだ池が見えた。その池の上には藤棚が釣ってあった。水の上に差し出された両端《りょうはじ》を支える二本の棚柱《たなばしら》は池の中に埋まっていた。周囲《まわり》には躑躅《つつじ》が多かった。中には緋鯉《ひごい》の影があちこちと動いた。濁った水の底を幻影《まぼろし》のように赤くするその魚《うお》を健三は是非捕りたいと思った。
 或日彼は誰も宅にいない時を見計《みはから》って、不細工な布袋竹《ほていちく》の先へ一枚糸を着けて、餌《えさ》と共に池の中に投げ込んだら、すぐ糸を引く気味の悪いものに脅かされた。彼を水の底に引っ張り込まなければやまないその強い力が二の腕まで伝った時、彼は恐ろしくなって、すぐ竿《さお》を放り出した。そうして翌日《あくるひ》静かに水面に浮いている一|尺《しゃく》余りの緋鯉を見出した。彼は独り怖がった。……
「自分はその時分誰と共に住んでいたのだろう」
 彼には何らの記憶もなかった。彼の頭はまるで白紙のようなものであった。けれども理解力の索引に訴えて考えれば、どうしても島田夫婦と共に暮したといわなければならなかった。

     三十九

 それから舞台が急に変った。淋《さみ》しい田舎《いなか》が突然彼の記憶から消えた。
 すると表に櫺子窓《れんじまど》の付いた小さな宅《うち》が朧気《おぼろげ》に彼の前にあらわれた。門のないその宅は裏通りらしい町の中にあった。町は細長かった。そうして右にも左にも折れ曲っていた。
 彼の記憶がぼんやりしているように、彼の家も始終薄暗かった。彼は日光とその家とを連想する事が出来なかった。
 彼は其所《そこ》で疱瘡《ほうそう》をした。大きくなって聞くと、種痘が元で、本疱瘡《ほんほうそう》を誘い出したのだとかいう話であった。彼は暗い櫺子のうちで転《ころ》げ廻った。惣身《そうしん》の肉を所嫌わず掻《か》き※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》って泣き叫んだ。
 彼はまた偶然広い建物の中に幼い自分を見出した。区切られているようで続いている仕切のうちには人がちらほらいた。空いた場所の畳だか薄縁《うすべり》だかが、黄色く光って、あたりを伽
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