いでも済むのに作つたものである。作らないでも済む時に詩を作る唯一の弁護は、詩を職業とするからか、又は他人に真似《まね》の出来ない詩を作り得るからかの場合に限る。(其外《そのほか》徒然《とぜん》であつたり、気が向いたりして作る場合は無論あるだらうが)中佐は詩を残す必要のない軍人である。しかも其《その》詩は誰にでも作れる個性のないものである。のみならず彼《あ》の様な詩を作るものに限つて決して壮烈の挙動を敢《あへ》てし得ない、即ち単なる自己広告のために作る人が多さうに思はれるのである。其《その》内容が如何《いか》にも偉さうだからである。又偉がつてゐるからである。幸ひにして中佐はあの詩に歌つたと事実の上に於て矛盾しない最期《さいご》を遂げた。さうして銅像|迄《まで》建てられた。吾々は中佐の死を勇ましく思ふ。けれども同時にあの詩を俗悪で陳腐で生きた個人の面影《おもかげ》がないと思ふ。あんな詩によつて中佐を代表するのが気の毒だと思ふ。
 道義的情操に関する言辞(詩歌感想を含む)は其《その》言辞を実現し得たるとき始めて他《た》をして其《その》誠実を肯《うけが》はしむるのが常である。余に至つては、更《
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