ている。余が身体《からだ》を拭《ふ》いて、茣蓙《ござ》の敷いてある縁先で、団扇《うちわ》を使って涼んでいると、やがて長谷川君が上がって来た。まず眼鏡をかけて、余を見つけ出して、向うから話しを始めた。双方とも真赤裸《まっぱだか》のように記憶している。しかし長谷川君の話し方は初対面の折露西亜の政党を論じた時と毫《ごう》も異《こと》なるところなく、呂音《りょおん》で落ちついて、ゆっくりしているものだから、全く赤裸《はだか》と釣り合わない。君は少しも顧慮《こりょ》する気色《けしき》も見えず醇々《じゅんじゅん》として頭の悪い事を説かれた。何でも去年とか一度卒倒して、しばらく田端辺《たばたへん》で休養していたので、今じゃ少しは好いようだとかいう話しであった。「それじゃ、まだ来客謝絶だろう」と冗談《じょうだん》半分に聞いて見たら、「まあ……」とか何とか云う返事であった。「それじゃ、行くのはまあ見合せよう」と云って分かれた。
その秋余は西片町を引き上げて早稲田《わせだ》へ移った。長谷川君と余とはこの引越のためますます縁が遠くなってしまった。その代り君の著作にかかる「其面影《そのおもかげ》」を買って来
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