ればならないのです。この頃は個人主義がどうであるとか、自然派の小説がどうであるとか云って、はなはだやかましいけれども、こういう現象が出て来るのは、皆我々の生活の内容が昔と自然に違って来たと云う証拠であって、在来の型と或る意味でどこかしらで衝突するために、昔の型を守ろうと云う人は、それを押潰《おしつぶ》そうとするし、生活の内容に依って自分自身の型を造ろうと云う人は、それに反抗すると云うような場合が大変ありはしないかと思うのです。ちょうど音楽の譜で、声を譜の中に押込めて、声自身がいかに自由に発現しても、その型に背《そむ》かないで行雲流水と同じく極《きわ》めて自然に流れると一般に、我々も一種の型を社会に与えて、その型を社会の人に則《のっと》らしめて、無理がなく行くものか、あるいはここで大いに考えなければならぬものかと云うことは、あなた方の問題でもあり、また一般の人の問題でもあるし、最も多く人を教育する人、最も多く人を支配する人の問題でもある。我々は現に社会の一人である以上、親ともなり子ともなり、朋友《ほうゆう》ともなり、同時に市民であって、政府からも支配され、教育も受けまた或る意味では教育も
前へ
次へ
全35ページ中33ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング