しなければならない身体《からだ》である。その辺の事をよく考えて、そうして相手の心理状態と自分とピッタリと合せるようにして、傍観者でなく、若い人などの心持にも立入って、その人に適当であり、また自分にももっともだと云うような形式を与えて教育をし、また支配して行かなければならぬ時節ではないかと思われるし、また受身の方から云えばかくのごとき新らしい形式で取扱われなければ一種云うべからざる苦痛を感ずるだろうと考えるのです。
 中味と形式と云うことについて、なぜお話をしたかと云うと、以上のような訳でこの問題について我々が考うべき必要があるように思ったからであります。それを具体的にどう現わしてよいかと云うことは、諸君の御判断であります。下らぬことをだいぶ長く述べ立てまして御気の毒です。だいぶ御疲れでしょう。最後まで静粛に御聴き下すったのは講演者として深く謝するところであります。



底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月に刊行

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