いる。我々が自分の娘もしくは妻に対する関係の上において御維新前と今日とはどのくらい違うかと云うことを、あなた方《がた》が御認めになったならば、この辺の消息はすぐ御分りになるでしょう。要するにかくのごとき社会を総《す》べる形式というものはどうしても変えなければ社会が動いて行かない。乱れる、纏《まと》まらないということに帰着するだろうと思う。自分の妻女に対してさえも前《ぜん》申した通りである。否わが家《や》の下女に対しても昔とは趣きが違うならば、教育者が一般の学生に向い、政府が一般の人民に対するのも無論手心がなければならないはずである。内容の変化に注意もなく頓着《とんじゃく》もなく、一定不変の型を立てて、そうしてその型はただ在来あるからという意味で、またその型を自分が好いているというだけで、そうして傍観者たる学者のような態度をもって、相手の生活の内容に自分が触れることなしに推《お》していったならば危ない。
一言にして云えば、明治に適切な型というものは、明治の社会的状況、もう少し進んで言うならば、明治の社会的状況を形造るあなた方の心理状態、それにピタリと合うような、無理の最も少ない型でなけ
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