《すべ》て多くの人を統御《とうぎょ》していこうと云う人も無論、個人が個人と交渉する場合に在《あ》ってすら型は必要なものである。会う時にお時儀《じぎ》をするとか手を握るとか云う型がなければ、社交は成立しない事さえある。けれども相手が物質でない以上は、すなわち動くものである以上は、種々の変化を受ける以上は、時と場合に応じて無理のない型を拵えてやらなければとうていこっちの要求通りに運ぶ訳のものではない。
 そこで現今日本の社会状態と云うものはどうかと考えてみると目下非常な勢いで変化しつつある。それに伴《つ》れて我々の内面生活と云うものもまた、刻々と非常な勢いで変りつつある。瞬時の休息なく運転しつつ進んでいる。だから今日の社会状態と、二十年前、三十年前の社会状態とは、大変趣きが違っている。違っているからして、我々の内面生活も違っている。すでに内面生活が違っているとすれば、それを統一する形式というものも、自然ズレて来なければならない。もしその形式をズラさないで、元のままに据《す》えておいて、そうしてどこまでもその中に我々のこの変化しつつある生活の内容を押込めようとするならば失敗するのは眼に見えて
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