》めて一括《ひとくく》りにしておきたいという念にほかならんので、会社の決算とか学校の点数と同じように表の上で早呑込《はやのみこみ》をする一種の智識慾、もしくは実際上の便宜のためにほかならんのでありますから、厳密な意味でいうと、型自身が独立して自然に存在する訳のものではない。例えばここに茶碗がある。茶碗の恰好《かっこう》といえば誰にでも分るが、その恰好《かっこう》だけを残して実質を取り去ろうとすれば、とうてい取り去る事はできない。実質を取れば形も無くなってしまう。強《し》いて形を存しようとすればただ想像的な抽象物として頭の中に残っているだけである。ちょうど家を造るために図面を引くと一般で、八畳、十畳、床の間と云うように仕切はついていても図面はどこまでも図面で、家としては存在できないにきまっている。要するに図面は家の形式なのである。したがっていくら形式を拵《こしら》えてもそれを構成する物質次第では思いのままの家はできかぬるかも知れないのです。いわんや活《い》きた人間、変化のある人間と云うものは、そう一定不変の型で支配されるはずがない。政《まつりごと》をなす人とか、教育をする人とかは無論、総
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