》の革命の時に、バステユと云う牢屋を打壊《うちこわ》して中から罪人を引出してやったら、喜こぶと思いのほか、かえって日の眼を見るのを恐れて、依然として暗い中に這入《はい》っていたがったという話があります。ちょっとおかしな話であるが、日本でも乞食を三日すれば忘れられないと云いますからあるいは本当かも知れません。乞食の型とか牢屋の型とか云うのも妙な言葉ですが、長い年月の間には人間本来の傾向もそういう風に矯《た》めることができないとも限りません。こんな例ばかり見れば既成の型でどこまでも押して行けるという結論にもなりましょうが、それならなぜ徳川氏が亡《ほろ》びて、維新の革命がどうして起ったか。つまり一つの型を永久に持続する事を中味の方で拒《こば》むからなんでしょう。なるほど一時は在来の型で抑《おさ》えられるかも知れないが、どうしたって内容に伴《つ》れ添《そ》わない形式はいつか爆発しなければならぬと見るのが穏当で合理的な見解であると思う。
元来この型そのものが、何のために存在の権利を持っているかというと、前にもお話した通り内容実質を内面の生活上経験することができないにもかかわらずどうでも纏《まと
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