複雑なものでも委細|御構《おかまい》なく切り約《つづ》められるものと仮定してかかるのであります。中味は込入っていて眼がちらちらするだけだからせめて締括《しめくく》った総勘定《そうかんじょう》だけ知りたいと云うなら、まだ穏当な点もあるが、どんな動物を見ても要するにこれは牛かい馬かい牛馬一点張りですべて四つ足を品隲《ひんしつ》されては大分無理ができる。門外漢というものはこの無理に気がつかない、また気がついても構わない。どんな無理な判断でも与えてくれさえすれば安心する。だからお上《かみ》でも高等官一等を拵《こしら》えてみたり、二等を拵えてみたり、あるいは学士、博士を拵えてみたりして門外漢に対して便宜を与え、一種の締括《しめくく》りある二字か三字の記号を本来の区別と心得て満足する連中に安慰を与えている。以上を一口にして云えば物の内容を知り尽した人間、中味の内に生息している人間はそれほど形式に拘泥《こうでい》しないし、また無理な形式を喜ばない傾《かたむき》があるが、門外漢になると中味が分らなくってもとにかく形式だけは知りたがる、そうしてその形式がいかにその物を現すに不適当であっても何でも構わずに
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