の馬鹿々々しと思ふ処ならん、啻《たゞ》に後代の吾々が馬鹿々々しと思ふのみにあらず、当人たる平家の侍共《さむらひども》も翌日は定めて口惜しと思ひつらん、去れども彼等は富士川に宿したる晩に限りて、急に揃ひも揃うて臆病風にかゝりたるなり、此臆病風は二十三日の半夜忽然吹き来りて、七万余騎の陣中を馳《か》け廻《めぐ》り、翌くる二十四日の暁天に至りて寂《せき》として息《や》みぬ、誰か此風の行衛《ゆくゑ》を知る者ぞ
犬に吠《ほ》え付かれて、果《は》てな己は泥棒かしらん、と結論するものは余程の馬鹿者か、非常な狼狽者《あわてもの》と勘定するを得べし、去れども世間には賢者を以て自ら居り、智者を以て人より目せらるゝもの、亦此病にかかることあり、大丈夫と威張るものの最後の場に臆したる、卑怯《ひけふ》の名を博したるものが、急に猛烈の勢を示せる、皆是れ自ら解釈せんと欲して能はざるの現象なり、況《いはん》や他人をや、二点を求め得て之を通過する直線の方向を知るとは幾何学《きかがく》上の事、吾人《ごじん》の行為は二点を知り三点を知り、重ねて百点に至るとも、人生の方向を定むるに足らず、人生は一個の理窟に纏《まと》め得る
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