か、ただ本だけ返すのは。本を返すくらいなら二十五銭も取りたまいな」
私はたまらなくなった。
「本は僕のものだよ。いったん買った以上は僕のものにきまってるじゃないか」
「そりゃそうに違いない。違いないが向《むこう》の宅《うち》でも困ってるんだから」
「だから返すと云ってるじゃないか。だけど僕は金を取る訳がないんだ」
「そんな解らない事を云わずに、まあ取っておきたまいな」
「僕はやるんだよ。僕の本だけども、欲しければやろうというんだよ。やるんだから本だけ持ってったら好いじゃないか」
「そうかそんなら、そうしよう」
喜いちゃんは、とうとう本だけ持って帰った。そうして私は何の意味なしに二十五銭の小遣を取られてしまったのである。
三十三
世の中に住む人間の一人《いちにん》として、私は全く孤立して生存する訳に行かない。自然|他《ひと》と交渉の必要がどこからか起ってくる。時候の挨拶《あいさつ》、用談、それからもっと込《こ》み入《い》った懸合《かけあい》――これらから脱却する事は、いかに枯淡な生活を送っている私にもむずかしいのである。
私は何でも他《ひと》のいう事を真《ま》
前へ
次へ
全126ページ中100ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング