回顧して解剖するのだから、比較的|明瞭《めいりょう》に描き出されるようなものの、その場合の私にはほとんど解らなかった。私さえただ苦い顔をしたという結果だけしか自覚し得なかったのだから、相手の喜いちゃんには無論それ以上|解《わか》るはずがなかった。括弧《かっこ》の中でいうべき事かも知れないが、年齢《とし》を取った今日《こんにち》でも、私にはよくこんな現象が起ってくる。それでよく他《ひと》から誤解される。
喜いちゃんは私の顔を見て、「二十五銭では本当に安過ぎるんだとさ」と云った。
私はいきなり机の上に載せておいた書物を取って、喜いちゃんの前に突き出した。
「じゃ返そう」
「どうも失敬した。何しろ安公《やすこう》の持ってるものでないんだから仕方がない。阿爺《おやじ》の宅《うち》に昔からあったやつを、そっと売って小遣《こづかい》にしようって云うんだからね」
私はぷりぷりして何とも答えなかった。喜いちゃんは袂《ふところ》から二十五銭出して私の前へ置きかけたが、私はそれに手を触れようともしなかった。
「その金なら取らないよ」
「なぜ」
「なぜでも取らない」
「そうか。しかしつまらないじゃない
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