云って、医者に頼んで殺して貰った事を、私はよく覚えていたのである。
「クロロフォームか何かで殺してやった方が、かえって苦痛がなくって仕合せだろう」
 私は三四度《さんよたび》同じ言葉を繰《く》り返《かえ》して見たが、猫がまだ私の思う通りにならないうちに、自分の方が病気でどっと寝てしまった。その間私はついに彼を見る機会をもたなかった。自分の苦痛が直接自分を支配するせいか、彼の病気を考える余裕さえ出なかった。
 十月に入《い》って、私はようやく起きた。そうして例のごとく黒い彼を見た。すると不思議な事に、彼の醜い赤裸の皮膚にもとのような黒い毛が生《は》えかかっていた。
「おや癒《なお》るのかしら」
 私は退屈な病後の眼を絶えず彼の上に注いでいた。すると私の衰弱がだんだん回復するにつれて、彼の毛もだんだん濃くなって来た。それが平生の通りになると、今度は以前より肥え始めた。
 私は自分の病気の経過と彼の病気の経過とを比較して見て、時々そこに何かの因縁《いんねん》があるような暗示を受ける。そうしてすぐその後から馬鹿らしいと思って微笑する。猫の方ではただにやにや鳴くばかりだから、どんな心持でいるのか
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