鶏の図がすこぶる気に入らなかったので、ここでも芝居と同じような議論が二人の間に起った。
「いったい君に画《え》を論ずる資格はないはずだ」と私はついに彼を罵倒《ばとう》した。するとこの一言《いちごん》が本《もと》になって、彼は芸術一元論を主張し出した。彼の主意をかいつまんで云うと、すべての芸術は同じ源《みなもと》から湧《わ》いて出るのだから、その内の一つさえうんと腹に入れておけば、他は自《おの》ずから解し得られる理窟《りくつ》だというのである。座にいる人のうちで、彼に同意するものも少なくなかった。
「じゃ小説を作れば、自然柔道も旨《うま》くなるかい」と私が笑談《じょうだん》半分に云った。
「柔道は芸術じゃありませんよ」と相手も笑いながら答えた。
芸術は平等観から出立するのではない。よしそこから出立するにしても、差別観《さべつかん》に入《い》って始めて、花が咲くのだから、それを本来の昔へ返せば、絵も彫刻も文章も、すっかり無に帰してしまう。そこに何で共通のものがあろう。たとい有ったにしたところで、実際の役には立たない。彼我共通の具体的のものなどの発見もできるはずがない。
こういうのがその
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