い。私が旧劇を見て、最も異様に感ずるのは、役者が自然と不自然の間を、どっちつかずにぶらぶら歩いている事である。それが私に、中腰《ちゅうごし》と云ったような落ちつけない心持を引き起させるのも恐らく理の当然なのだろう。
 しかし舞台の上に子供などが出て来て、甲《かん》の高い声で、憐《あわ》れっぽい事などを云う時には、いかな私でも知らず知らず眼に涙が滲《にじ》み出る。そうしてすぐ、ああ騙《だま》されたなと後悔する。なぜあんなに安っぽい涙を零《こぼ》したのだろうと思う。
「どう考えても騙されて泣くのは厭《いや》だ」と私はある人に告げた。芝居好のその相手は、「それが先生の常態なのでしょう。平生涙を控《ひか》え目《め》にしているのは、かえってあなたのよそゆきじゃありませんか」と注意した。
 私はその説に不服だったので、いろいろの方面から向《むこう》を納得させようとしているうちに、話題がいつか絵画の方に滑《すべ》って行った。その男はこの間参考品として美術協会に出た若冲《じゃくちゅう》の御物《ぎょぶつ》を大変に嬉《うれ》しがって、その評論をどこかの雑誌に載せるとかいう噂《うわさ》であった。私はまたあの
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