つまでも笑いの種にしようと巧《たく》らんでかかる。益さんもしまいには苦笑いをして、とうとう「あなたよろしい」をやめにしてしまう。すると今度は「じゃ益さん、野中《のなか》の一本杉《いっぽんすぎ》をやって御覧よ」と誰かが云い出す。
「やれったって、そうおいそれとやれるもんじゃありません」
「まあ好いから、おやりよ。いよいよ野中の一本杉の所まで参りますと……」
 益さんはそれでもにやにやして応じない。私はとうとう益さんの野中の一本杉というものを聴《き》かずにしまった。今考えると、それは何でも講釈か人情噺《にんじょうばなし》の一節じゃないかしらと思う。
 私の成人する頃には益さんももう宅《うち》へ来なくなった。おおかた死んだのだろう。生きていれば何か消息《たより》のあるはずである。しかし死んだにしても、いつ死んだのか私は知らない。

        二十七

 私は芝居というものに余り親しみがない。ことに旧劇は解らない。これは古来からその方面で発達して来た演芸上の約束を知らないので、舞台の上に開展《かいてん》される特別の世界に、同化する能力が私に欠けているためだとも思う。しかしそればかりではな
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