れからそれを机の上へ伏せて、口の内で今読んだ通りを暗誦《あんしょう》するのである。
 その下読が済むと、だんだん益さんが必要になって来る。庄さんもいつの間にかそこへ顔を出す。一番目の兄も、機嫌《きげん》の好い時は、わざわざ奥から玄関まで出張《でば》って来る。そうしてみんないっしょになって、益さんに調戯《からか》い始める。
「益さん、西洋人の所へ手紙を配達する事もあるだろう」
「そりゃ商売だから厭《いや》だって仕方がありません、持って行きますよ」
「益さんは英語ができるのかね」
「英語ができるくらいならこんな真似《まね》をしちゃいません」
「しかし郵便ッとか何とか大きな声を出さなくっちゃならないだろう」
「そりゃ日本語で間に合いますよ。異人だって、近頃は日本語が解りますもの」
「へええ、向《むこう》でも何とか云うのかね」
「云いますとも。ペロリの奥さんなんか、あなたよろしいありがとうと、ちゃんと日本語で挨拶《あいさつ》をするくらいです」
 みんなは益さんをここまでおびき出しておいて、どっと笑うのである。それからまた「益さん何て云うんだって、その奥さんは」と何遍も一つ事を訊《き》いては、い
前へ 次へ
全126ページ中81ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング