を断ったのが、今考えると残念だなどと始終《しじゅう》話していた。
 二人とも私の母方の従兄《いとこ》に当る男だったから、その縁故で、益さんは弟《おとと》に会うため、また私の父に敬意を表するため、月に一遍ぐらいは、牛込の奥まで煎餅《せんべい》の袋などを手土産《てみやげ》に持って、よく訪ねて来た。
 益さんはその時何でも芝の外《はず》れか、または品川近くに世帯を持って、一人暮しの呑気《のんき》な生活を営んでいたらしいので、宅《うち》へ来るとよく泊まって行った。たまに帰ろうとすると、兄達が寄ってたかって、「帰ると承知しないぞ」などと威嚇《おどか》したものである。
 当時二番目と三番目の兄は、まだ南校《なんこう》へ通っていた。南校というのは今の高等商業学校の位置にあって、そこを卒業すると、開成学校すなわち今日《こんにち》の大学へ這入《はい》る組織《そしょく》になっていたものらしかった。彼らは夜になると、玄関に桐《きり》の机を並べて、明日《あした》の下読《したよみ》をする。下読と云ったところで、今の書生のやるのとはだいぶ違っていた。グードリッチの英国史といったような本を、一節ぐらいずつ読んで、そ
前へ 次へ
全126ページ中80ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング