失礼だと思って、わざと引込《ひっこ》んでいたのです」
これに対する楠緒さんの挨拶《あいさつ》も、今では遠い過去になって、もう呼び出す事のできないほど、記憶の底に沈んでしまった。
楠緒さんが死んだという報知の来たのは、たしか私が胃腸病院にいる頃であった。死去の広告中に、私の名前を使って差支《さしつかえ》ないかと電話で問い合された事などもまだ覚えている。私は病院で「ある程の菊投げ入れよ棺《かん》の中」という手向《たむけ》の句を楠緒さんのために咏《よ》んだ。それを俳句の好きなある男が嬉《うれ》しがって、わざわざ私に頼んで、短冊に書かせて持って行ったのも、もう昔になってしまった。
二十六
益《ます》さんがどうしてそんなに零落《おちぶれ》たものか私には解らない。何しろ私の知っている益さんは郵便脚夫であった。益さんの弟の庄さんも、家《うち》を潰《つぶ》して私の所へ転《ころ》がり込んで食客《いそうろう》になっていたが、これはまだ益さんよりは社会的地位が高かった。小供の時分本町の鰯屋《いわしや》へ奉公に行っていた時、浜の西洋人が可愛《かわい》がって、外国へ連れて行くと云ったの
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