時の私の論旨《ろんし》であった。そうしてその論旨はけっして充分なものではなかった。もっと先方の主張を取り入れて、周到な解釈を下《くだ》してやる余地はいくらでもあったのである。
 しかしその時座にいた一人《いちにん》が、突然私の議論を引き受けて相手に向い出したので、私も面倒だからついそのままにしておいた。けれども私の代りになったその男というのはだいぶ酔っていた。それで芸術がどうだの、文芸がどうだのと、しきりに弁ずるけれども、あまり要領を得た事は云わなかった。言葉|遣《づか》いさえ少しへべれけであった。初めのうちは面白がって笑っていた人達も、ついには黙ってしまった。
「じゃ絶交しよう」などと酔った男がしまいに云い出した。私は「絶交するなら外でやってくれ、ここでは迷惑だから」と注意した。
「じゃ外へ出て絶交しようか」と酔った男が相手に相談を持ちかけたが、相手が動かないので、とうとうそれぎりになってしまった。
 これは今年の元日の出来事である。酔った男はそれからちょいちょい来るが、その時の喧嘩《けんか》については一口も云わない。

        二十八

 ある人が私の家《うち》の猫を見て、
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