えたのである。何にも知らないはずの宅《うち》の小供も、始めは変な名だなあと云っていた。しかしじきに慣れた。犬もヘクトーと呼ばれるたびに、嬉《うれ》しそうに尾を振った。しまいにはさすがの名もジョンとかジォージとかいう平凡な耶蘇教信者《ヤソきょうしんじゃ》の名前と一様に、毫《ごう》も古典的《クラシカル》な響を私に与えなくなった。同時に彼はしだいに宅のものから元《もと》ほど珍重されないようになった。
 ヘクトーは多くの犬がたいてい罹《かか》るジステンパーという病気のために一時入院した事がある。その時は子供がよく見舞《みまい》に行った。私も見舞に行った。私の行った時、彼はさも嬉しそうに尾を振って、懐《なつ》かしい眼を私の上に向けた。私はしゃがんで私の顔を彼の傍《そば》へ持って行って、右の手で彼の頭を撫《な》でてやった。彼はその返礼に私の顔を所嫌《ところきら》わず舐《な》めようとしてやまなかった。その時彼は私の見ている前で、始めて医者の勧《すす》める小量の牛乳を呑《の》んだ。それまで首を傾《かし》げていた医者も、この分ならあるいは癒《なお》るかも知れないと云った。ヘクトーははたして癒った。そうし
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