囲《かこい》をして、その中に庭木が少し植えてあった。三本の松は、見る影もなく枝を刈り込まれて、ほとんど畸形児《きけいじ》のようになっていたが、どこか見覚《みおぼえ》のあるような心持を私に起させた。昔《むか》し「影|参差《しんし》松三本の月夜かな」と咏《うた》ったのは、あるいはこの松の事ではなかったろうかと考えつつ、私はまた家に帰った。

        二十四

「そんな所に生《お》い立《た》って、よく今日《こんにち》まで無事にすんだものですね」
「まあどうかこうか無事にやって来ました」
 私達の使った無事という言葉は、男女《なんにょ》の間に起る恋の波瀾《はらん》がないという意味で、云わば情事の反対を指《さ》したようなものであるが、私の追窮心《ついきゅうしん》は簡単なこの一句の答で満足できなかった。
「よく人が云いますね、菓子屋へ奉公すると、いくら甘いものの好な男でも、菓子が厭《いや》になるって、御彼岸《おひがん》に御萩《おはぎ》などを拵《こしら》えているところを宅《うち》で見ていても分るじゃありませんか、拵えるものは、ただ御萩を御重《おじゅう》に詰めるだけで、もうげんなり[#「げんな
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