ちなんだ菊に井戸を使って、喜久井町としたという話は、父自身の口から聴いたのか、または他のものから教《おす》わったのか、何しろ今でもまだ私の耳に残っている。父は名主《なぬし》がなくなってから、一時区長という役を勤めていたので、あるいはそんな自由も利《き》いたかも知れないが、それを誇《ほこり》にした彼の虚栄心を、今になって考えて見ると、厭《いや》な心持は疾《と》くに消え去って、ただ微笑したくなるだけである。
父はまだその上に自宅の前から南へ行く時に是非共登らなければならない長い坂に、自分の姓の夏目という名をつけた。不幸にしてこれは喜久井町ほど有名にならずに、ただの坂として残っている。しかしこの間、或人が来て、地図でこの辺の名前を調べたら、夏目坂というのがあったと云って話したから、ことによると父の付けた名が今でも役に立っているのかも知れない。
私が早稲田《わせだ》に帰って来たのは、東京を出てから何年ぶりになるだろう。私は今の住居《すまい》に移る前、家《うち》を探す目的であったか、また遠足の帰り路であったか、久しぶりで偶然私の旧家の横へ出た。その時表から二階の古瓦《ふるがわら》が少し見えた
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