なので、派出を好む人達が、争って手に入れたがるからであった。
幕の間には役者に随《つ》いている男が、どうぞ楽屋へお遊びにいらっしゃいましと云って案内に来る。すると姉達はこの縮緬《ちりめん》の模様のある着物の上に袴《はかま》を穿《は》いた男の後《あと》に跟《つ》いて、田之助《たのすけ》とか訥升《とっしょう》とかいう贔屓《ひいき》の役者の部屋へ行って、扇子《せんす》に画《え》などを描《か》いて貰って帰ってくる。これが彼らの見栄《みえ》だったのだろう。そうしてその見栄は金の力でなければ買えなかったのである。
帰りには元《もと》来た路を同じ舟で揚場まで漕ぎ戻す。無要心《ぶようじん》だからと云って、下男がまた提灯《ちょうちん》を点《つ》けて迎《むかえ》に行く。宅《うち》へ着くのは今の時計で十二時くらいにはなるのだろう。だから夜半《よなか》から夜半までかかって彼らはようやく芝居を見る事ができたのである。……
こんな華麗《はなやか》な話を聞くと、私ははたしてそれが自分の宅に起った事か知らんと疑いたくなる。どこか下町の富裕な町家の昔を語られたような気もする。
もっとも私の家も侍分《さむらいぶん
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