着こうと云うのだから、たいていの事ではなかったらしい。姉達はみんな夜半《よなか》に起きて支度《したく》をした。途中が物騒《ぶっそう》だというので、用心のため、下男がきっと供《とも》をして行ったそうである。
彼らは筑土《つくど》を下りて、柿の木横町から揚場《あげば》へ出て、かねてそこの船宿にあつらえておいた屋根船に乗るのである。私は彼らがいかに予期に充《み》ちた心をもって、のろのろ砲兵工厰《ほうへいこうしょう》の前から御茶の水を通り越して柳橋まで漕《こ》がれつつ行っただろうと想像する。しかも彼らの道中はけっしてそこで終りを告げる訳に行かないのだから、時間に制限をおかなかったその昔がなおさら回顧の種になる。
大川へ出た船は、流を溯《さかのぼ》って吾妻橋《あずまばし》を通り抜けて、今戸《いまど》の有明楼《ゆうめいろう》の傍《そば》に着けたものだという。姉達はそこから上《あが》って芝居茶屋まで歩いて、それからようやく設けの席につくべく、小屋へ送られて行く。設けの席というのは必ず高土間《たかどま》に限られていた。これは彼らの服装《なり》なり顔なり、髪飾なりが、一般の眼によく着く便利のいい場所
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