半鐘も型のごとく釣るしてあった。私はこうしたありのままの昔をよく思い出す。その半鐘のすぐ下にあった小さな一膳飯屋《いちぜんめしや》もおのずと眼先に浮かんで来る。縄暖簾《なわのれん》の隙間からあたたかそうな|煮〆《にしめ》の香《におい》が煙《けむり》と共に往来へ流れ出して、それが夕暮の靄《もや》に融《と》け込んで行く趣《おもむき》なども忘れる事ができない。私が子規のまだ生きているうちに、「半鐘と並んで高き冬木|哉《かな》」という句を作ったのは、実はこの半鐘の記念のためであった。

        二十一

 私の家に関する私の記憶は、惣《そう》じてこういう風に鄙《ひな》びている。そうしてどこかに薄ら寒い憐《あわ》れな影を宿している。だから今生き残っている兄から、つい此間《こないだ》、うちの姉達が芝居に行った当時の様子を聴いた時には驚ろいたのである。そんな派出《はで》な暮しをした昔もあったのかと思うと、私はいよいよ夢のような心持になるよりほかはない。
 その頃の芝居小屋はみんな猿若町《さるわかちょう》にあった。電車も俥《くるま》もない時分に、高田の馬場の下から浅草の観音様の先まで朝早く行き
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