ぼみち》とかを通り抜けなければならなかった。買物らしい買物はたいてい神楽坂《かぐらざか》まで出る例になっていたので、そうした必要に馴《な》らされた私に、さした苦痛のあるはずもなかったが、それでも矢来《やらい》の坂を上《あが》って酒井様の火《ひ》の見櫓《みやぐら》を通り越して寺町へ出ようという、あの五六町の一筋道などになると、昼でも陰森《いんしん》として、大空が曇ったように始終《しじゅう》薄暗かった。
 あの土手の上に二抱《ふたかかえ》も三抱《みかか》えもあろうという大木が、何本となく並んで、その隙間《すきま》隙間をまた大きな竹藪で塞《ふさ》いでいたのだから、日の目を拝む時間と云ったら、一日のうちにおそらくただの一刻もなかったのだろう。下町へ行こうと思って、日和下駄《ひよりげた》などを穿《は》いて出ようものなら、きっと非道《ひど》い目にあうにきまっていた。あすこの霜融《しもどけ》は雨よりも雪よりも恐ろしいもののように私の頭に染《し》み込《こ》んでいる。
 そのくらい不便な所でも火事の虞《おそれ》はあったものと見えて、やっぱり町の曲り角に高い梯子《はしご》が立っていた。そうしてその上に古い
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