の軒先にまだ薄暗い看板が淋《さむ》しそうに懸《かか》っていた頃、よく母から小遣《こづかい》を貰ってそこへ講釈を聞きに出かけたものである。講釈師の名前はたしか、南麟《なんりん》とかいった。不思議な事に、この寄席へは南麟よりほかに誰も出なかったようである。この男の家《うち》はどこにあったか知らないが、どの見当《けんとう》から歩いて来るにしても、道普請《みちぶしん》ができて、家並《いえなみ》の揃《そろ》った今から見れば大事業に相違なかった。その上客の頭数はいつでも十五か二十くらいなのだから、どんなに想像を逞《たく》ましくしても、夢としか考えられないのである。「もうしもうし花魁《おいらん》え、と云われて八《や》ツ橋《はし》なんざますえとふり返る、途端《とたん》に切り込む刃《やいば》の光」という変な文句は、私がその時分南麟から教《おす》わったのか、それとも後《あと》になって落語家《はなしか》のやる講釈師の真似《まね》から覚えたのか、今では混雑してよく分らない。
 当時私の家からまず町らしい町へ出ようとするには、どうしても人気のない茶畠《ちゃばたけ》とか、竹藪《たけやぶ》とかまたは長い田圃路《たん
前へ 次へ
全126ページ中61ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング