それから鍛冶屋《かじや》も一軒あった。少し八幡坂《はちまんざか》の方へ寄った所には、広い土間を屋根の下に囲い込んだやっちゃ[#「やっちゃ」に傍点]場《ば》もあった。私の家のものは、そこの主人を、問屋《とんや》の仙太郎さんと呼んでいた。仙太郎さんは何でも私の父とごく遠い親類つづきになっているんだとか聞いたが、交際《つきあい》からいうと、まるで疎濶《そかつ》であった。往来で行き会う時だけ、「好い御天気で」などと声をかけるくらいの間柄《あいだがら》に過ぎなかったらしく思われる。この仙太郎さんの一人娘が講釈師の貞水《ていすい》と好い仲になって、死ぬの生きるのという騒ぎのあった事も人聞《ひとぎき》に聞いて覚えてはいるが、纏《まと》まった記憶は今頭のどこにも残っていない。小供の私には、それよりか仙太郎さんが高い台の上に腰をかけて、矢立《やたて》と帳面を持ったまま、「いーやっちゃいくら」と威勢の好い声で下にいる大勢の顔を見渡す光景の方がよっぽど面白かった。下からはまた二十本も三十本もの手を一度に挙《あ》げて、みんな仙太郎さんの方を向きながら、ろんじ[#「ろんじ」に傍点]だのがれん[#「がれん」に傍点
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