広い小倉屋《こくらや》という酒屋もあった。もっともこの方は倉造りではなかったけれども、堀部安兵衛《ほりべやすべえ》が高田の馬場で敵《かたき》を打つ時に、ここへ立ち寄って、枡酒《ますざけ》を飲んで行ったという履歴のある家柄《いえがら》であった。私はその話を小供の時分から覚えていたが、ついぞそこにしまってあるという噂《うわさ》の安兵衛が口を着けた枡を見たことがなかった。その代り娘の御北《おきた》さんの長唄《ながうた》は何度となく聞いた。私は小供だから上手だか下手だかまるで解らなかったけれども、私の宅《うち》の玄関から表へ出る敷石の上に立って、通りへでも行こうとすると、御北さんの声がそこからよく聞こえたのである。春の日の午過《ひるすぎ》などに、私はよく恍惚《うっとり》とした魂を、麗《うらら》かな光に包みながら、御北さんの御浚《おさら》いを聴くでもなく聴かぬでもなく、ぼんやり私の家の土蔵の白壁に身を靠《も》たせて、佇立《たたず》んでいた事がある。その御蔭《おかげ》で私はとうとう「旅の衣《ころも》は篠懸《すずかけ》の」などという文句をいつの間にか覚えてしまった。
このほかには棒屋が一軒あった。
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