]だのという符徴《ふちょう》を、罵《のの》しるように呼び上げるうちに、薑《しょうが》や茄子《なす》や唐《とう》茄子の籠《かご》が、それらの節太《ふしぶと》の手で、どしどしどこかへ運び去られるのを見ているのも勇ましかった。
どんな田舎《いなか》へ行ってもありがちな豆腐屋《とうふや》は無論あった。その豆腐屋には油の臭《におい》の染《し》み込《こ》んだ縄暖簾《なわのれん》がかかっていて門口《かどぐち》を流れる下水の水が京都へでも行ったように綺麗《きれい》だった。その豆腐屋について曲ると半町ほど先に西閑寺《せいかんじ》という寺の門が小高く見えた。赤く塗られた門の後《うしろ》は、深い竹藪《たけやぶ》で一面に掩《おお》われているので、中にどんなものがあるか通りからは全く見えなかったが、その奥でする朝晩の御勤《おつとめ》の鉦《かね》の音《ね》は、今でも私の耳に残っている。ことに霧《きり》の多い秋から木枯《こがらし》の吹く冬へかけて、カンカンと鳴る西閑寺の鉦の音は、いつでも私の心に悲しくて冷《つめ》たい或物を叩《たた》き込むように小さい私の気分を寒くした。
二十
この豆腐屋の隣
前へ
次へ
全126ページ中59ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング