つけるような勢《いきおい》で立っている梅の古木の根方《ねがた》が、かっと明るく見えた。姉は思慮をめぐらす暇《いとま》もないうちに、すぐ潜戸を締《し》めてしまったが、締めたあとで、今目前に見た不思議な明るさをそこに立ちながら考えたのである。
 私の幼心に映ったこの姉の顔は、いまだに思い起そうとすれば、いつでも眼の前に浮ぶくらい鮮《あざや》かである。しかしその幻像はすでに嫁に行って歯を染めたあとの姿であるから、その時|縁側《えんがわ》に立って考えていた娘盛りの彼女を、今胸のうちに描き出す事はちょっと困難である。
 広い額、浅黒い皮膚、小さいけれども明確《はっきり》した輪廓《りんかく》を具えている鼻、人並《ひとなみ》より大きい二重瞼《ふたえまぶち》の眼、それから御沢《おさわ》という優しい名、――私はただこれらを綜合《そうごう》して、その場合における姉の姿を想像するだけである。
 しばらく立ったまま考えていた彼女の頭に、この時もしかすると火事じゃないかという懸念《けねん》が起った。それで彼女は思い切ってまた切戸《きりど》を開けて外を覗《のぞ》こうとする途端《とたん》に、一本の光る抜身《ぬきみ》
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