文句が書いてあった。私はいよいよ驚ろいた。
しかしその時の私はとうてい富士登山の図などに賛をする勇気をもっていなかった。私の気分が、そんな事とは遥《はる》か懸《か》け離れた所にあったので、その画に調和するような俳句を考えている暇がなかったのである。けれども私は恐縮した。私は丁寧《ていねい》な手紙を書いて、自分の怠慢を謝した。それから茶の御礼を云った。最後に富士登山の図を小包にして返した。
十三
私はこれで一段落《いちだんらく》ついたものと思って、例の坂越《さごし》の男の事を、それぎり念頭に置かなかった。するとその男がまた短冊を封じて寄《よ》こした。そうして今度は義士に関係のある句を書いてくれというのである。私はそのうち書こうと云ってやった。しかしなかなか書く機会が来なかったので、ついそのままになってしまった。けれども執濃《しつこ》いこの男の方ではけっしてそのままに済ます気はなかったものと見えて、むやみに催促を始め出した。その催促は一週に一遍か、二週に一遍の割できっと来た。それが必ず端書《はがき》に限っていて、その書き出しには、必ず「拝啓失敬申し候えども」とあるに
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