見えてならなかった。私は今でも半信半疑の眼でじっと自分の心を眺めている。

        九

 私が高等学校にいた頃、比較的親しく交際《つきあ》った友達の中にOという人がいた。その時分からあまり多くの朋友《ほうゆう》を持たなかった私には、自然Oと往来《ゆきき》を繁《しげ》くするような傾向があった。私はたいてい一週に一度くらいの割で彼を訪《たず》ねた。ある年の暑中休暇などには、毎日欠かさず真砂町《まさごちょう》に下宿している彼を誘って、大川《おおかわ》の水泳場まで行った。
 Oは東北の人だから、口の利《き》き方《かた》に私などと違った鈍《どん》でゆったりした調子があった。そうしてその調子がいかにもよく彼の性質を代表しているように思われた。何度となく彼と議論をした記憶のある私は、ついに彼の怒《おこ》ったり激したりする顔を見る事ができずにしまった。私はそれだけでも充分彼を敬愛に価《あたい》する長者《ちょうしゃ》として認めていた。
 彼の性質が鷹揚《おうよう》であるごとく、彼の頭脳も私よりは遥《はる》かに大きかった。彼は常に当時の私には、考えの及ばないような問題を一人で考えていた。彼は最初
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