向わなければならないと思う。すでに生の中に活動する自分を認め、またその生の中に呼吸する他人を認める以上は、互いの根本義はいかに苦しくてもいかに醜くてもこの生の上に置かれたものと解釈するのが当り前であるから。
「もし生きているのが苦痛なら死んだら好いでしょう」
こうした言葉は、どんなに情《なさけ》なく世を観ずる人の口からも聞き得ないだろう。医者などは安らかな眠に赴《おも》むこうとする病人に、わざと注射の針を立てて、患者の苦痛を一刻でも延ばす工夫を凝《こ》らしている。こんな拷問《ごうもん》に近い所作《しょさ》が、人間の徳義として許されているのを見ても、いかに根強く我々が生の一字に執着《しゅうちゃく》しているかが解る。私はついにその人に死をすすめる事ができなかった。
その人はとても回復の見込みのつかないほど深く自分の胸を傷《きずつ》けられていた。同時にその傷が普通の人の経験にないような美くしい思い出の種となってその人の面《おもて》を輝やかしていた。
彼女はその美くしいものを宝石のごとく大事に永久彼女の胸の奥に抱《だ》き締《し》めていたがった。不幸にして、その美くしいものはとりも直さず彼
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