ょけん》の人から賛辞《さんじ》ばかり受けているのは、ありがたいようではなはだこそばゆいものである。実をいうと私は辟易《へきえき》した。
 一週間おいて女は再び来た。そうして私の作物《さくぶつ》をまた賞《ほ》めてくれた。けれども私の心はむしろそういう話題を避けたがっていた。三度目に来た時、女は何かに感激したものと見えて、袂《たもと》から手帛《ハンケチ》を出して、しきりに涙を拭《ぬぐ》った。そうして私に自分のこれまで経過して来た悲しい歴史を書いてくれないかと頼んだ。しかしその話を聴かない私には何という返事も与えられなかった。私は女に向って、よし書くにしたところで迷惑を感ずる人が出て来はしないかと訊《き》いて見た。女は存外|判然《はっきり》した口調で、実名《じつみょう》さえ出さなければ構わないと答えた。それで私はとにかく彼女の経歴を聴《き》くために、とくに時間を拵《こしら》えた。
 するとその日になって、女は私に会いたいという別の女の人を連れて来て、例の話はこの次に延ばして貰いたいと云った。私には固《もと》より彼女の違約を責める気はなかった。二人を相手に世間話をして別れた。
 彼女が最後に私
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