浮んで来る。
 夏になると母は始終《しじゅう》紺無地《こんむじ》の絽《ろ》の帷子《かたびら》を着て、幅の狭い黒繻子《くろじゅす》の帯を締《し》めていた。不思議な事に、私の記憶に残っている母の姿は、いつでもこの真夏の服装《なり》で頭の中に現われるだけなので、それから紺無地の絽の着物と幅の狭い黒繻子の帯を取り除くと、後に残るものはただ彼女の顔ばかりになる。母がかつて縁鼻《えんばな》へ出て、兄と碁《ご》を打っていた様子などは、彼ら二人を組み合わせた図柄《ずがら》として、私の胸に収めてある唯一《ゆいいつ》の記念《かたみ》なのだが、そこでも彼女はやはり同じ帷子《かたびら》を着て、同じ帯を締《し》めて坐っているのである。
 私はついぞ母の里へ伴《つ》れて行かれた覚《おぼえ》がないので、長い間母がどこから嫁に来たのか知らずに暮らしていた。自分から求めて訊《き》きたがるような好奇心はさらになかった。それでその点もやはりぼんやり霞《かす》んで見えるよりほかに仕方がないのだが、母が四《よ》ツ谷《や》大番町《おおばんまち》で生れたという話だけは確《たし》かに聞いていた。宅《うち》は質屋であったらしい。蔵が幾
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